もう旧聞に属するけど、ちょっと雑感↓
http://www.narinari.com/Nd/2005054455.html
 あくまで「元古書店員(見習い)」として言うと、多分これを知った全国の古書店のマンガ担当者は、『MASTERキートン』(以下、『キートン』)の余剰在庫に対する見方を変えたんじゃないだろうか。彼らが最初にやることは、全巻セットの在庫の一部(あるいは全部)を倉庫に回すこと。次に客からの買い取り価格を上げることと、ブックオフ等から背取り*1することだろう。多分、首都圏の新古書店では、表向き『キートン』の在庫は払底し始めているはずだ。
 後は市場に飢餓感が生まれ、市場価格が上昇するのを静かに待つ。こういう絶版になった書籍を「見かけなくなる」原因の一端は、古書店の買い占めにあると思う。『キートン』は文庫、ワイド版も含め、市場の流通量がハンパじゃないので上昇もゆるやかだろうが、絶版状態が長く続いた場合、オリジナル単行本・初版・美品の全巻セットは定価以上のプレミア価格で売られる可能性が高い。あとは番外編の『キートン動物記』の初版あたりも……
 ……なにが言いたいかというと、①『キートン』は少しずつ手に入りにくくなる。②今の状況で喜ぶのは古本屋だけ……ということ*2

*1:転売目的で古書店から本を買うこと。

*2:誰も好きこのんで絶版したわけではない、ということも十分理解しているけど。

岡本喜八「江分利満氏の優雅な生活」

 山口瞳のエッセイ集を映画化したもの。主役もナレーションも小林桂樹が演じる一人称的なスタイルなのだが、両者は完全なイコールの関係ではない。ナレーションは江分利の半生や言動を、自在に解説したり批評したりする。いわばこの映画の主人公は「日常生活を送っている江分利」と「江分利の行動を解説するもう一人の江分利」に分裂している。本来ならナレーションが「エッセイを書いた山口瞳」ということになるのだろうが、映画の中では江分利自身が『江分利満氏の優雅な生活』を書くというメタフィクショナルな展開になっているので、途中から頭がこんがらがってきた。なんとなくP・K・ディックの『高い城の男』を思い出してしまった。
 こういうメタな手法を取り入れた日本映画はあまり多くないと思う。シーンのテンポの良さや、アニメや合成を多用した映像センスも(当時としては)特筆に値する。些末なことだけど「ナレーションが登場人物にツッコミを入れる」ギャグを、日本で最初に使った映像作品ではないだろうか。もっとも、当時は全然ヒットしなかったらしい。サラリーマン向けのエッセイの映画化にしては、「前衛的」すぎると受け止められたんじゃないだろうか。(あまり言いたくないけど)「早すぎた映画」の一つだと思う。
 ただ、江分利の語る内容は日本の戦中世代が抱く鬱屈というべきもので、高度経済成長期に入った当時の世相からはすでに「ズレた」ものだったに違いない。思えばこの世代は前後の世代に比べてかなりワリを食っている。太平洋戦争開戦の意志決定はもっと上の世代が下したが、実際に最前線に立たされたのは彼らである。どうにか戦争を生き抜いて、戦後の復興が目に見える形になった時には既に中年にさしかかっている……そういう鬱屈を闊達なコメディとして昇華させたところにこの映画の面目があると思う。
 小林圭樹は当たり役で、実際の山口瞳を役作りの参考にしたのだろう。かけているメガネもそっくりだし。ところでこの映画でも少しだけ触れられているが、山口瞳の出生の秘密については『血族 (文春文庫 や 3-4)』に詳しい。数年前に文春文庫で重版かかったみたいなので、まだ新刊の書店でも手に入るはずだ。

香港映画のすべて(訂正済)

 NHKのBS2で三時間に渡って放映していた「香港映画のすべて」、予約をすっかり忘れていて、最初の一時間近くを録画できなかった。さっき仕事上がりに残りの二時間をざっと見ていたのだが、かなりイイ。「武侠映画」「カンフー映画」「女優」の三つにテーマを絞り、豊富なインタビューと映像資料を交えながら香港映画の歴史を解説。香港・シンガポール・日本の共同制作で、とにかく充実した内容だ。
 日本未公開映画の映像目白押しで、デビッド・チャン主演の「新獨臂刀」とか、香港初のカンフー映画黄飛鴻伝」の映像とか初めて見た。特に主人公が斧を腹に突き刺した状態(致命傷)で十五分も戦い続ける「馬永貞」、メチャクチャ観たいんですけど。
 ショウ・ブラザーズ以前の香港映画に言及しているのもこの手の番組では珍しい。どなたか最初の一時間を録画した方、いらっしゃいませんかね? マジで。
 とにかく面白かったけど、特にクララ・ウェイのこの発言はすごいな。

 ワン・ユーと共演したシーンの撮影を憶えています。ワン・ユーが私のお腹を強く殴るシーンで、ウッとパンチにリアクションするんです。クッションになるものは一切ありませんでした。(中略)。二十回以上も殴られました。ワン・ユーはすごく強く殴るんです。その日は何も食べていませんでした。水を飲んだだけだったのに、殴られて外に出ると吐いてしまいました。そしてまた戻って殴られるといった繰り返し……その間、ずっとボロボロ泣いていました

 クララ・ウェイは終始笑顔で喋っていたが、まだこの時十代の女の子だったらしい。少しは手加減というものを……
 ところで、さっきまでワン・ユー=王羽=ジミー・ウォングだと誤解してました(詳細はコメント欄。ご指摘ありがとうございました)。実際は汪禹。クララ・ウェイが語っているのも「爛頭何」(1979)でのエピソード……だが、ワン・ユー繋がりということで↓

片腕カンフー対空飛ぶギロチン [DVD] ジミー・ウォング監督・主演「片腕カンフー対空飛ぶギロチン」

 ちなみに、今夜は同じ時間帯でキン・フーの「大酔侠」を放映するらしい。DVDも発売されてるけど、お持ちでない方は是非。

仕事とか

 サイトリニューアル中。パッと見で職業が分からないとアレかなと思い、サイドバーに著書を入れてみました。暇を見てもうちょっと手を入れる予定。はてなアンテナもついでに取り込もうかと思っています。
 来月には『シャドウテイカー』の五巻が発売されます。著者としてはもう出るのを待つばかり。とにかく、最終巻まで書ききることが出来てほっとしています。来月がちょうどデビュー三周年。著書はこれで十二冊目。反省点は色々あるんですが、それでもどうにかやってこられました。ひとえに買って下さっている皆さんのおかげです。
 今はもう次の仕事をしています。あまり間を置かずに次の本も出せそうですが、シリーズではなく単発に近い形になると思います。で、さらにその後のこと(そこまで行くと来年ですが)も、少しずつ考え始めております。

 ここんとこ本とかマンガとか映画とかを結構読んでり観たりしてるんですが、今は書くヒマがありません。とりあえず、ひぐちアサおおきく振りかぶって』1〜3巻と『全集黒澤明』(岩波書店)全6巻が最近のお気に入りです。
 夕食の最中、録画しておいた岡本喜八江分利満氏の優雅な生活」を途中まで観ました。60年代の風俗映画としても面白いです。ていうか俺、もう江分利とあまり変わらない年だよ……「首」以降、CSで小林桂樹の映画ばっかり観てる気がします。次は「女の中にいる他人」の予定。

おおきく振りかぶって (1) ひぐちアサおおきく振りかぶって

森谷司郎「首」(ネタバレあり)

 CSで。今井正の「真昼の暗黒」と同じく、正木ひろし弁護士の手記をもとに、橋本忍が脚本を担当したドキュメンタリータッチの佳作。扱われているのは当然実際に起こった事件である。昭和十八年、舞台は茨城の炭坑。一人の炭坑夫を警官が拷問死させるが、「心臓マヒ」として処理。警察の死亡診断に不審を抱いた正木は、検察に検死を依頼する。ところが検察もまた警察の隠蔽工作に荷担し、正木に残された手段は、墓を暴き死体の首を持ち帰って*1、民間の医師に再検死をさせることだけ。もし再検死によって冤罪という証拠が出なければ、正木は死体損壊などの重罪に問われる危険な賭けだった。
 こうして書いてみると(実話なんだけど)骨太の優れたストーリーだと思う。今でもテレビの社会派ドラマでも通用する話じゃないだろうか。ただ、出来上がった映画はまともな「社会派」のサスペンス映画には見えない。
 あくまで俺の印象なんだが、開巻十分を過ぎる頃から小林桂樹演じる正木のキャラの異様さが気になってきた。正義のために執念を燃やす人権派の弁護士というより、粘着質の頭のおかしい人間に思えてくるのだ。正木から「再検死のために墓を暴いて首を切る」と聞かされた周囲の人々は当然驚いて制止するのだが、正木は絶叫する。
「死骸が……死骸が腐りかけてる……死骸が叫んでる……このままでは体が腐るッ! 早くこの首を切ってくれッ……いや、腐っていくのは奥村*2の死骸じゃない……このままでは、僕の体や心までが腐っていくッ!」
 死体と自分を同一視する弁護士。俺が死体で死体が俺で。この映画は単にこの主人公の良心を描いているだけではなく、罪を暴こうとする側が、罪を犯す側の狂気につかの間踏みこんでしまう姿を描く意図があったのではないか。現にすべての作業を終えた後で、「今回のことで、今後の君は人間が変わってしまうのではないか」と先輩の弁護士に言わせている。そしてラストでは、戦後、八海事件の弁護を担当する主人公が、法廷で犯行の手口を説明している。「こう! こう! こう!」と、絶叫しながら模型の首に出刃包丁をザクザクと振り下ろす。悲鳴を上げて目を背ける傍聴人。そして「終」のテロップ。
 この妙な後味の悪さよ。とにかく小林桂樹の演技が出色で、ツーカーのCMの好々爺しか知らない青少年にも是非見てもらいたいのだが、今までビデオ化もDVD化もされていない。なんか事情があったんですかね。大久保正信扮する解体人もいい。

*1:当時、日本の山間地方では土葬が一般的

*2:被害者の名前