岡本喜八「江分利満氏の優雅な生活」

 山口瞳のエッセイ集を映画化したもの。主役もナレーションも小林桂樹が演じる一人称的なスタイルなのだが、両者は完全なイコールの関係ではない。ナレーションは江分利の半生や言動を、自在に解説したり批評したりする。いわばこの映画の主人公は「日常生活を送っている江分利」と「江分利の行動を解説するもう一人の江分利」に分裂している。本来ならナレーションが「エッセイを書いた山口瞳」ということになるのだろうが、映画の中では江分利自身が『江分利満氏の優雅な生活』を書くというメタフィクショナルな展開になっているので、途中から頭がこんがらがってきた。なんとなくP・K・ディックの『高い城の男』を思い出してしまった。
 こういうメタな手法を取り入れた日本映画はあまり多くないと思う。シーンのテンポの良さや、アニメや合成を多用した映像センスも(当時としては)特筆に値する。些末なことだけど「ナレーションが登場人物にツッコミを入れる」ギャグを、日本で最初に使った映像作品ではないだろうか。もっとも、当時は全然ヒットしなかったらしい。サラリーマン向けのエッセイの映画化にしては、「前衛的」すぎると受け止められたんじゃないだろうか。(あまり言いたくないけど)「早すぎた映画」の一つだと思う。
 ただ、江分利の語る内容は日本の戦中世代が抱く鬱屈というべきもので、高度経済成長期に入った当時の世相からはすでに「ズレた」ものだったに違いない。思えばこの世代は前後の世代に比べてかなりワリを食っている。太平洋戦争開戦の意志決定はもっと上の世代が下したが、実際に最前線に立たされたのは彼らである。どうにか戦争を生き抜いて、戦後の復興が目に見える形になった時には既に中年にさしかかっている……そういう鬱屈を闊達なコメディとして昇華させたところにこの映画の面目があると思う。
 小林圭樹は当たり役で、実際の山口瞳を役作りの参考にしたのだろう。かけているメガネもそっくりだし。ところでこの映画でも少しだけ触れられているが、山口瞳の出生の秘密については『血族 (文春文庫 や 3-4)』に詳しい。数年前に文春文庫で重版かかったみたいなので、まだ新刊の書店でも手に入るはずだ。