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サイドバーはそのうち直します。
『ビブリア古書堂の事件手帖』の重版が決まりました。買って下さった方、ありがとうございます。
重版用の原稿をチェックしてるところですが、今書いてる原稿とジャンルの隔たりがありすぎて頭の切り替えで難儀中。
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ずっとエントリ書いてませんでしたが、近況報告ぐらいはしようかと。新刊が出ました。
ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち (メディアワークス文庫)
- 作者: 三上延,越島はぐ
- 出版社/メーカー: アスキーメディアワークス
- 発売日: 2011/03/25
- メディア: 文庫
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「美人で人見知りなお姉さんが古書店で働いていたらどんなにいいだろう」という高校時代の俺の白日夢がベースになってます。後になって古書店でバイトしてみると、きれいな女性は働いていましたが、ものすごく有能な原価率管理の鬼でした。
今はシリーズものの続きを書いています。
住むところや仕事があり、家族もいることがいかに恵まれているか、この半月ずっと噛みしめています。ささやかな金額ですが、募金してきました。
青少年健全育成条例改正案と『非実在青少年』規制を考える。
http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/2010/03/post-ca2e.html
こちらのイベントに行ってきた。
都条例としての問題点は山口氏のブログで言い尽くされており、俺から付け加えることはないが、どう考えても児童の人権保護のために行われようとしている児童ポルノ規制と、青少年の「健全」な育成のために行われているこの都条例とは保護すべき対象年齢もベクトルも異なる。両者を同時に盛りこんだために、この改正案は「青少年を性表現から遠ざける」ことが目的なのか、「児童を性的な搾取から救う」ことが目的なのか、根底の部分からさっぱり分からない。はっきりしているのはこの条例案を作った人々が、未成年がセックスをすることなど想像したくもないということだけだ。
今回の規制強化の対象は基本的に映像表現であり、文章を書いている俺にはさほど影響がないかもしれない。なにしろ石原慎太郎都知事自ら薬を飲ませた女子学生をレイプする『処刑の部屋』を書いているわけで、条例を作った人々も小説に踏みこむ度胸まではないと思われる。しかし、物語を作って食っている者の端くれとして放っておく気にはなれない。都条例の話からは少し逸れるが、児童ポルノ規制全般に対する俺の考えを書いておきたい。
俺はこの八年近く物書きとして暮らしている。若い人たちを主な読者層とした小説をずっと書いてきた。未成年のセックスを描写したことはないが、物語上特に必要がなかったから描かなかっただけで、異性に抱く性欲はごく自然なものとして扱ってきた。どこまで踏みこむかは別としても、必要があると感じれば躊躇なく書くだろう。一方で殺人や肉体の損壊についてはわりと詳細に描いてきた。自分が「青少年の健全な育成」なるものに寄与しているとは思っていない。
眉をひそめられること、批判されることは覚悟してきたつもりだ。物語を作る以上、誰かを不快にさせるリスクを負うべきだと常に思っている。「このような作品には反吐が出る」と怒ることは個人の自由だと俺は信じているし、それを表明することにも問題を感じない。幼い少女をレイプする表現に反吐の出ない人間の方が少数派だろう。
しかし、だからといって公的機関による規制が今以上に必要であるとは考えていない。
反社会的な行為を描いた表現があったからといって、その行為を全員が実行するわけではない。大半の人々は不倫する小説を読んだからといって即座に不倫相手を物色しないし、公道でレースするマンガを読んだからといって峠を攻めたりしないし、殺人者が主人公の映画を観たからといって憎い相手に襲いかかったりしない。それらの表現の中にはあたかも反社会的な行為を肯定するように見えるものも多々含まれているが、だからといって現状よりも厳しい表現規制を行おうという話はあまり聞かない。
なぜ未成年がセックスするマンガやアニメやゲームのみが突出して「問題」であるかのように語られるのか。なぜ表現自体を排除する必要があると考えるのか。規制を容認する人々にとってはもはや素朴すぎる疑問のようだが、俺は納得の得られる回答に出会ったことがない。
規制を容認する人々は性表現、それもマンガやアニメやゲームが突出して危険だという明確な根拠をまず示すべきだ。そうでないなら、単に自分の嫌いなものを狩っているだけである。
むろん俺は児童ポルノのすべてを許せと言っているわけではない。それを演じる少女が実在するなら、彼女たちの人権はなによりも配慮されるべきだ。彼女たちを性的に搾取する者たちは存分に罰せられ、彼女たちの意志に反して過去の姿が市場に出回らないよう最大限の努力がなされるべきだ。しかしすでに自分の性に決定権を持つ成人を対象に、被写体の存在しない二次元の表現物が、適切な棲み分けのもとで受容されている限りは問題が発生するとは思えない。「未成年のポルノが蔓延している」と言うなら(その言葉の指し示す意味も分からないが)、まずは被害者の救済とゾーニングの徹底を考えるのが筋だろう。
「本当は、なぜある男が強姦魔になるかなど、誰にも分からないはずである。レイプはひどい犯罪だ。女性はレイプからみずからを防衛し、それを阻止するという深刻な必要に迫られている。しかし私たちの最大の関心事とは、私たちのささやかな資源と限られた時間を、ポルノ一掃のために捧げることなのだろうか? 確かなことは、ポルノの利用者の全員あるいは大半が性暴力犯罪を行っているなどということを信じられる者などほとんどいない、ということだ」
――――パット・カリフィア他『ポルノと検閲』(青弓社)より。
フェミニストのパット・カリフィアがこの文章を書いてから二十年以上が過ぎている。これはラディカル・フェミニストと保守系の団体が中心となってアメリカで進めていたポルノ規制運動に対する反論だが、今の児童ポルノ規制強化への反論としても通用する内容だと思う。規制を進める人々のロジックが当時からほとんど変化していないということでもある。
『イボグリくん』他
『イホグリくん』復刊……って絶版だったのか。大学生の頃『山上たつひこ選集』に収録されたものを読んだ。物凄いマンガだと思ったけど笑った記憶はない。『イボグリくん』には「主人公が終始狂っている」のみならず、「物語全体も終始狂っている」第二話*1もあって、俺はそっちの方が好き。設定もストーリーも登場人物もどんどん狂っていくにも関わらず、なんのツッコミも入らない。
特に「主人公がふすま越しに槍で敵を突き刺す→ふすまの向こうにもなぜか主人公がいて槍で突き刺される」という展開には背筋が凍った。もちろん主人公そっくりの奴が敵だったというわけでも、ドッペルゲンガーがいたというわけでもない。そもそもどういうわけなのかなんのフォローもないのだ。刺した方はどうなったんだか分からないまま、物語はそのまま刺された方を主人公にして当たり前のように進む(もちろん、刺された傷もすぐに忘れ去られる)。単に作者の頭がおかしいだけかもしれないと不安になってくる内容。ギャグマンガというジャンルの極北を見たと思った。
『イボグリくん』が復刊されたんだったら、『光る風』もされるかもしれないと期待。文庫版が十年ぐらい前に出たけど、もう絶版だしできれば大判で読みたい。
ロベール・ブレッソンDVD-BOXと積んであったダリオ・アルジェントの「インフェルノ」をようやく観たり。ブレッソンの「湖のランスロ」が観られたのは嬉しい。驚いたのはBOXに「1」というナンバリングがされていたこと。「2」が出るんだったら、「白夜」と「抵抗」を是非。特に「抵抗」は俺の心の映画なんだよ……
*1:主人公はそっくりだけど、名前が違うので正確には『イボグリくん』ではないのかもしれない。
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今日は『モーフィアスの教室』の二巻の著者校*1を受け取りにメディアワークスの編集部に行く。初めて行ってから六年ぐらい経つはずだが、初めて降りる階を間違えた。しばらく気付かないで「レイアウトが変わったのか」と思いながら、きょろきょろしながら徘徊したのは別に秘密でもないので書く。久しぶりにいい恥かいた。
帰りに神保町すずらん通りのキッチン南海に寄ってチキンカツとしょうが焼き定食。個人的には吉祥寺いせやのシューマイと並んでくせになる味。自分で作っても絶対こういう味にならない。ここで食べるのは大抵打ち合わせの後なので、仕事前の儀式という感じ。月曜までに著者校のチェックをしながら三巻のプロットを練らなければならない。
そろそろいいような気がするので書くけど、『天空のアルカミレス』の韓国版が出る(多分)。「一応チェックを」と表紙のコピーを見せてもらったのだが、ハングルが読めないので残念ながらなんにも分からなかった……韓国版は日本よりも一回り大きな版型になるらしい。菊版と同じかちょい小さいぐらい? ページの開きが日本と逆なのでどうしてだろう、と思ったら文章が横書きなのな。色々面白い。
*1:確認用の仮刷り。
最近観たDVD
ここ数日、俺の中で戦争映画祭り。スピルバーグ「プライベート・ライアン」、増村保造「赤い天使」、エレム・クリモフ「炎628」。「赤い天使」の特典映像を観ていたら、若尾文子の口から「プライベート・ライアン」の話が出てきて驚いた。「戦場のリアルな描写」という観点で、「赤い天使」は「プライベート・ライアン」を先取りしていた、という趣旨。その通りだとは思ったけど、同時に以前戦場をリアルに描写していると言われていた映画(例えばペキンパー「戦争のはらわた」等)は、全部「プライベート・ライアン」の前フリになってしまったと言える、とも思った。
ジャン=ピエール・メルヴィル「影の軍隊」。ドイツ占領下のフランスが舞台に、裏切りやアクシデントの連続でレジスタンス活動の挫折していく過程が延々と。岩石から削りだしたようなリノ・ヴァンチュラの風貌がすごい。こういう俳優でも男性的な魅力を持つ主人公の役を振られるのは、フランス映画の傾向……というかフランス人の好みじゃないかと思う。完璧な美男子は必ずしも好まれない。初回限定で再発されて、Amazonでも一応購入可能だけど、手に入るかどうかかなり怪しい。多分もう店頭在庫しか残ってないと思う。
ジョー・ダンテ「ピラニア」。ピラニアが出てこないシーンは結構面白い。これは脚本のジョン・セイルズの功績が大きいかも。特に手前が元凶のくせに徹頭徹尾反省しないヘザー・メンジーズ演じるヒロインは大好き。なんとなく「燃える昆虫軍団」と「怪奇! 吸血人間スネーク」を連想したけど、内容以前に主役二人が被ってんだから当たり前か。
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