ヴィレッジ(ネタバレ有)

 19世紀末の自給自足の村。外の世界とは人外の「彼ら」の棲む森によって完全に隔絶されている。ホアキン・フェニックス扮する主人公は危険な森を通って、年長者たちが恐れる「町」へ行きたいと再三希望するがかなえられない。やがて彼は村にある数々の掟に疑問を抱くようになる……
 期待した観客にはあのサプライズは全然ダメかもしれないけど、俺はこういう映画が好きだ。シャマランの映画は常に「私(たち)を取り巻く世界」の話であって、どんなテーマを扱っても物語の視点は主人公たちの周囲から動かない。彼らがどのような状況に置かれているかという俯瞰的な描写は極力抑えられているのだが、そのかわり個々の人間関係にまつわる感情のリアルな表出が丹念に描かれている*1。特にブライス・ダラス・ハワード扮する盲目のヒロインやエイドリアン・ブロディの白痴のエピソードはいかにもシャマランらしくて、盲目のヒロインがホアキンを家の中に招き入れるために、暗がりに手を伸ばすシーンはちょっと泣けた。
 この人の映画には「隠された謎」の要素が必ず用意されているけど、その部分が「シックス・センス」以外はショボいから肩すかしを食う人が大勢いるのもよく分かる。ただ、それがないと娯楽映画を期待して映画館にやって来た観客は何をどう受け取っていいか分からんだろうし、そういう強引さがないシャマランの映画を俺自身が観たいかというとそれも微妙だ。
 ってここまで書いててふと思ったんだけど、むしろ瑕疵となりうるのはいつも中途半端な説明がつくことなんじゃないだろうか。「ヴィレッジ」でもあんな風に完全によそとの交流を閉ざしていたら、19世紀の生活すら維持するのも不可能だし、「ここは自然動物保護区で……」とかそんな説明要らないと思う。いっそ塀を越えた後のエピソードはばっさりカットして、主人公が向かう「町」の遠景と、村の年長者たちが見ている箱の中身とのカットバックで済ませても良かったんじゃないだろうか。
 そういや管理事務所で新聞読んでるの、またシャマランじゃなかったか? いや、別にいいんだけど、インパクトがあるから目立つんだよ。

*1:タルいって人も多分いる