青少年健全育成条例改正案と『非実在青少年』規制を考える。

http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/2010/03/post-ca2e.html
 こちらのイベントに行ってきた。
 都条例としての問題点は山口氏のブログで言い尽くされており、俺から付け加えることはないが、どう考えても児童の人権保護のために行われようとしている児童ポルノ規制と、青少年の「健全」な育成のために行われているこの都条例とは保護すべき対象年齢もベクトルも異なる。両者を同時に盛りこんだために、この改正案は「青少年を性表現から遠ざける」ことが目的なのか、「児童を性的な搾取から救う」ことが目的なのか、根底の部分からさっぱり分からない。はっきりしているのはこの条例案を作った人々が、未成年がセックスをすることなど想像したくもないということだけだ。

 今回の規制強化の対象は基本的に映像表現であり、文章を書いている俺にはさほど影響がないかもしれない。なにしろ石原慎太郎都知事自ら薬を飲ませた女子学生をレイプする『処刑の部屋』を書いているわけで、条例を作った人々も小説に踏みこむ度胸まではないと思われる。しかし、物語を作って食っている者の端くれとして放っておく気にはなれない。都条例の話からは少し逸れるが、児童ポルノ規制全般に対する俺の考えを書いておきたい。

 俺はこの八年近く物書きとして暮らしている。若い人たちを主な読者層とした小説をずっと書いてきた。未成年のセックスを描写したことはないが、物語上特に必要がなかったから描かなかっただけで、異性に抱く性欲はごく自然なものとして扱ってきた。どこまで踏みこむかは別としても、必要があると感じれば躊躇なく書くだろう。一方で殺人や肉体の損壊についてはわりと詳細に描いてきた。自分が「青少年の健全な育成」なるものに寄与しているとは思っていない。
 眉をひそめられること、批判されることは覚悟してきたつもりだ。物語を作る以上、誰かを不快にさせるリスクを負うべきだと常に思っている。「このような作品には反吐が出る」と怒ることは個人の自由だと俺は信じているし、それを表明することにも問題を感じない。幼い少女をレイプする表現に反吐の出ない人間の方が少数派だろう。
 しかし、だからといって公的機関による規制が今以上に必要であるとは考えていない。
 反社会的な行為を描いた表現があったからといって、その行為を全員が実行するわけではない。大半の人々は不倫する小説を読んだからといって即座に不倫相手を物色しないし、公道でレースするマンガを読んだからといって峠を攻めたりしないし、殺人者が主人公の映画を観たからといって憎い相手に襲いかかったりしない。それらの表現の中にはあたかも反社会的な行為を肯定するように見えるものも多々含まれているが、だからといって現状よりも厳しい表現規制を行おうという話はあまり聞かない。
 なぜ未成年がセックスするマンガやアニメやゲームのみが突出して「問題」であるかのように語られるのか。なぜ表現自体を排除する必要があると考えるのか。規制を容認する人々にとってはもはや素朴すぎる疑問のようだが、俺は納得の得られる回答に出会ったことがない。
 規制を容認する人々は性表現、それもマンガやアニメやゲームが突出して危険だという明確な根拠をまず示すべきだ。そうでないなら、単に自分の嫌いなものを狩っているだけである。

 むろん俺は児童ポルノのすべてを許せと言っているわけではない。それを演じる少女が実在するなら、彼女たちの人権はなによりも配慮されるべきだ。彼女たちを性的に搾取する者たちは存分に罰せられ、彼女たちの意志に反して過去の姿が市場に出回らないよう最大限の努力がなされるべきだ。しかしすでに自分の性に決定権を持つ成人を対象に、被写体の存在しない二次元の表現物が、適切な棲み分けのもとで受容されている限りは問題が発生するとは思えない。「未成年のポルノが蔓延している」と言うなら(その言葉の指し示す意味も分からないが)、まずは被害者の救済とゾーニングの徹底を考えるのが筋だろう。

「本当は、なぜある男が強姦魔になるかなど、誰にも分からないはずである。レイプはひどい犯罪だ。女性はレイプからみずからを防衛し、それを阻止するという深刻な必要に迫られている。しかし私たちの最大の関心事とは、私たちのささやかな資源と限られた時間を、ポルノ一掃のために捧げることなのだろうか? 確かなことは、ポルノの利用者の全員あるいは大半が性暴力犯罪を行っているなどということを信じられる者などほとんどいない、ということだ」
                      ――――パット・カリフィア他『ポルノと検閲』(青弓社)より。


 フェミニストのパット・カリフィアがこの文章を書いてから二十年以上が過ぎている。これはラディカル・フェミニスト保守系の団体が中心となってアメリカで進めていたポルノ規制運動に対する反論だが、今の児童ポルノ規制強化への反論としても通用する内容だと思う。規制を進める人々のロジックが当時からほとんど変化していないということでもある。