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昨日は担当さんと電話で打ち合わせ。八日あたりから新刊が本屋に並び始める由(地域差等あるので一概には言えないが)。この時期になるといつもいても立ってもいられなくなって、外へ飛び出していってはなにもしないで戻ってくる。デビューしたての頃、いつか泰然自若として発売日を迎えられる日が来るはずだと思っていたが、二十冊目だってのに全然そんな気分になりませんよ。こりゃ一生駄目だ。今日もちょっと出かけてきます。
「筑紫哲也・安住紳一郎NYテロ5年目の真実」
録画してあった分をざっと見た。全体的に言って、幅広い取材に基づくいいドキュメンタリー番組だと思った*1が、筑紫哲也が「世界中の誰もがあの日自分がなにをしていたのか、記憶している事件」という意味の発言をしていた*2ことに多少の引っかかりを覚えた。本当にそうなんだろうか。同盟国である日本ならこういう言い方もありだと思うが、この事件が例えばアフリカ諸国や中国の一般市民に同様の衝撃を与えたんだろうか。もちろん、ここ数年で世界で最も多くの人々の耳目を集めた未曾有の事件だということは間違いないのだが……この発言からはむしろマスメディアに携わる人間のこの事件の受け止め方が窺える気がする。
とか書いているが、本当の違和感の原因は自分がなにをしていたかなかなか思い出せなかったせいかもしれない。後から別の用事で当時付けていたメモを引っ繰り返していたら、どうも引っ越しの当日だったようだ(ニュースなんか見てるはずがない)。事件を知ったのは次の日で、その頃の彼女からかかってきた電話だった。犠牲者の数が多数にのぼることとと攻撃目標にペンタゴンが含まれていると聞いて、俺もようやく「大変なことが起こった」と考えた……らしい。よく思い出せないけど。
その時からもう自分のサイトを開いていた(デビューよりずっと前だった)が、Webに日記を書いたのは十三日になってから。つまりちょうど五年前の今日。ちなみにまだブログって言葉は一般的じゃなかった。
この事件で死んだ沢山のアメリカ人、これから死ぬテロとは無縁なアラブ人は膨大な数になるでしょう。死ぬ人間のこと、その周囲にいる沢山の遺族のことを考えると憂鬱な気持ちになる。多分、殺し合いは絶えることはないだろうけど、せめて当事者同士でやってくれないもんかな。
「犠牲者が膨大な数になるでしょう」というのは、まだ犠牲者の正確な数が分かっていなかったから。日記では犯人について書かなかった。情報がかなり錯綜していた時期で、イスラム過激派のテロだということは確実視されていたが、アルカイダは犯行を認める前だった(アルカイダは当初犯行を否定する声明を出していた)。テレビでは目新しい情報もないまま、何度も何度も何度も何度もジェット機がビルに突入する瞬間の映像を流していて、俺はかなり辟易していた。日本で同じような事件が起こっても、こんな報道が出来るのかと言いたくなるような不謹慎なものも含まれていた。
アメリカ人がこのテロを真珠湾攻撃になぞらえて表現していたことに複雑な思いも抱いていたが、同時にアメリカがこのまま黙っているはずがないことは誰の目にも明らかだった。そんな時期。
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何はともあれ仕事中。
資料でも何でもなく。
杉勇『楔形文字入門』(講談社学術文庫)。19世紀あたりの古代文字の解読って、先人とは知識のバックボーンの異なる異才が数十年に一度現れて、ドカンと進展するというパターンが多い気がするな。
保阪正康『東條英機とその時代』(ちくま文庫)。東條英機の功罪について語るには、1930〜40年代前半の日本の政治状況への俯瞰的な視点がないとあまり意義がないと思って読んでみた。この分野について知りたければ欠かせない基礎文献じゃないだろうか。大著。
前々から「俺が無性に読みたくなる古書は復刊が近い」という妙な法則が。先日、ソルジェニーツィンの『収容所群島』*1の後半をどうしても読みたくなって、なんとなく予感がしてググってみたら、
http://www.fukkan.com/bookhist.php3?no=2396
復刊決定。古書店を漁らなくてよかった。新刊で手に入る本は新刊で欲しい。交渉期間が結構長きにわたっている。「国内外の関係各位の合意」とあるから、色々複雑な経緯があったのではないか。
他には山口貴由『シグルイ』1〜5巻。志村貴子『青い花』1巻。二ノ宮知子『のだめカンタービレ』14巻。
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とか言っている間に二月になっていたり。ちょっとデザインをいじってみました。「かんたんデザイン設定」だとフッダとヘッダの内容が上書きされる、というのを完全に読み飛ばしてて、ちまちまタグ書いて作ったサイドバーのモジュールがなくなったので、また作り直すはめに。